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執筆者の写真山田峯子

サロン振り返り日記 #1 トカゲ ②

更新日:11月2日

走って逃げるトカゲの尾が、陽炎のむこうにみえる。

イメージからダンス作品を作ることについつい、前回は昔のサロンの参加者が言っていたことを紹介した。

さて、彼が言っていたことを、所属作家の田中熊にどう思うかきいてみた。以下が、田中熊から返ってきたメールのコピーである。

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あまりこういうふうに考えたことはありませんが、Unitの話は興味深いです。

ダンス作品を作るうえでとのことなので、トカゲのイメージとUnitの話をつなげようと考え始める時、まず一つ、こんな疑問が浮かぶかもしれません。
上演場所に劇場を想定する場合、Unit=イチ は何か?

ダンサーか、観客か、リノリウムか、機材か、壁か。しかしこういったものも、劇場に対する思い込みから作られたUnitである場合があります。そしてこの思い込みは無視できないものの、一度疑ってしまうと、無限に疑わざるを得ません。

だからこそ、「イチが何か」を最初に考えない。これが重要だと思います。
イチが何かを決めて、そこからイメージにつなげる、この直線的な作業はイメージを作るための方法について考えている。この方法をとると行き詰まってしまうのが容易に想像できます(そして行き詰まった先にイメージそのものを神秘化せざるを得なくなる)。

自分なら、まずはトカゲのイメージがある理由を考えます。イメージは、一枚の写真のようなものではありません。そのイメージを思い浮かべたその人(A子とする)にとって、イメージの前後に何かがあるはず。
トカゲはそもそもどうやって走るのか、そしてA子はそれをどうやって知ったのか。知ったとき、それはどこだったか。A子が次にトカゲに出会った場所はどこか。どうしてトカゲはその場所にいたのか。

ここでさらに重要なのは、「動機」ではなく「理由」であるという点。
トカゲの動機や、A子がそのイメージに辿り着いた道筋での動機など考えても仕方がない。ダンサーが何をすべきか、という視点を忘れられず、理由を考えてしまうと、「動機」の話になりやすい。すると、「動機」は気まぐれなので、一つに決めるのは難しいということになる。結局のところ「動機はなんでもいい。動機があるという状態が大事だ。」ということで落ち着く。
トカゲが逃げる動機、A子がその場に来る動機、トカゲを目にとめる動機…………
本当になんでもいいのでしょうか? なんでもいいのに再現できるのでしょうか?

こうして、「動機」の話になると、ダンス作品を作るという点からは行き詰まります。端的に、ダンサーが、振付をどう踊るか考えているのと似た視点であるからだと、自分は思いますが。

だから、「理由」のままで考える。
「動機」の話にならないよう、場に起こることの理由を、誰かの目線を取り除こうとしながら考える。理由、というより「道理」といってもいいと思います。普遍的な法則と、個別性の間にピースがはまるかのような「道理」。
これについて根気強く考えていき、劇場という装置(ただし同時に、コンクリートの建築物である)とつながるのただ待つ。
イチ=Unitが何かは、この「道理」が決まってから決まるはずです。

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率直に言って、私は4割くらいしかわかりませんでした。また、具体的にどうするのかも、あまりよくわかっていません。
ですが、田中熊は作品もまだ全然世に出していないのに、自信があるようで大変頼もしいです。作品をみたら、少しはわかるのかもしれません。

なるほど、トカゲが逃げる理由、尾だけみてしまうような理由、陽炎がそもそも目の前に立ちはだかる理由など、考えてみましょう。そもそもこのイメージは、ただ私が先日みた夢です。こんなふうに、おもしろいなと思ったただの夢をもとに、誰かがいろいろなことを考えてくれるのは嬉しいですね。
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